私にとっての「韓国語」

韓国語の勉強をはじめて数年、韓国語は私にとってただの外国語ではなくなった。

韓国語は私の第二言語であり、趣味であり、生活の一部でもあり、人生を彩るものとなった。

最初は単純に「推しの話す韓国語が理解できるようになりたい」という理由で学び始めたわけだけど、学んでいくうちに韓国語の奥深さに、その背景にある韓国文化にどんどん惹かれていった。

日本人は「私の国」というところを、韓国人は「우리 나라」という。

これは仲間意識を強く持つ韓国の文化をよく表しているなぁと思う。

こんな風に、韓国語を学びながら韓国の文化を知れることは、すごく面白い。

自分でも正直、自分が生まれた国でもないのに、縁やゆかりがあるわけでもないのに、ここまで深く興味を持つのが不思議なくらいだ。

そして韓国語を学ぶということは、新しい自分の発見でもあった。

韓国語の勉強を数年間続けて、何かをこんなにも集中して学ぶ力が自分にあったことを初めて知った。

韓国語や韓国の文化を知ることで視野も広がり、考え方や価値観の部分でも変化があったように思う。

日本では当たり前のことでも韓国では当たり前ではなくなり、日本では当たり前でないことが韓国では当たり前だったり。

一歩日本の外に出れば、まるで違う考え方や価値観を持った人たちがそこにはいる。

戸惑うこともたくさんあるけれど、違う世界を知るということは、自分の生き方や人生にも大きな変化をもたらしてくれる。

これが正解でこれが間違いということはなくて、ただそれぞれ違う部分を、特徴を持っているだけ。

もちろん、韓国のすべてが好きだというわけではないし、ここは日本のほうがいいなと思うことだってある。

今でも不思議に思っている。

あれだけ興味のなかった韓国に、今これほど興味を持っていることに。

韓国語を学ぶということは、ただ言語を学ぶということではなくて、その国の文化や人を知るということ。

だから私にとっての「韓国語」は、ただの言語ではなくて韓国の文化や歴史、人を知る手段であり、自分の人生を豊かにするものの一つでもある。