韓国語を独学で勉強しているというと、すごく頭のいい人に思われることがある。
独学でTOPIK6級に合格し、会話もできるし韓国ドラマも字幕無しで観ることができる人は、地頭がいいとか才能があるとか、「この人はちょっと特別なんだ」みたいな目で見られることもある。
そんな私は韓国語を勉強しながら自分の出来なさに何度も打ちのめされ、勉強しても勉強しても出来ない自分に嫌気が差すことなんて日常茶飯事だった。
自分の言いたいことが全然思うように言えなくて、相手の言っていることも全然わからなくて、シャドーイングしても聞こえてくるのは自分の下手くそな韓国語ばかり。
当時アプリで仲良くしていた韓国人相手に、毎日のように泣き言をもらしていた。
韓国語の勉強は、「出来ない」「わからない」の連続だ。
上級レベルになった今でさえ、「出来ない」「わからない」はまだまだたくさんある。
もちろん、出来るようになったことも、わかるようになったこともたくさんあるけれど、それよりもはるかに出来ないことやわからないことが多いのだ。
でも今は、出来ない自分に打ちのめされることはなくなった。
「出来ない」の連続の向こうに、「出来る」が待っていると知ったから。
出来ないを経験すればするほど、成長する。
だから勉強がしんどいときや、自分の成長がまったく感じられないときは、むしろ「いいぞ、いいぞ、その調子だ」と思うようにしている。
韓国語の勉強はしんどいときも、迷走するときもあるけれど、それもまたひとつのいい経験になり、知識となる。
自分の韓国語の出来なさにうちのめされていたあのときのことを思い出すと、自分がちょっと愛おしく思える。
あのときの私が必死にもがいてくれたから、今の私がいるのだと。
だから私はまた、未来の私のために必死にもがいてやろうと思う。
今の私の努力は、今の私を救ってはくれないかもしれないけれど、きっと未来の私を救ってくれると思うから。