やらなくていい理由を探しだしたら危険サイン

駐日韓国文化院が毎年開催している「話してみよう韓国語」というスピーチコンテスト。

去年は知ったときには応募期間が終わっていたので、来年は応募しよう!と思っていた。

定期的に韓国文化院のHPを確認していたら、今年のスピーチコンテストの出場者を募集する掲示がアップされていた。

「今年は応募しなきゃ!」そうは思ったものの……

何のために応募するの?

応募して何がしたいの?

別に応募しなくてもいいんじゃない?

そんな思いが頭の中をぐるぐる回りはじめた。

そのとき、ハッと気づいてしまった。

私、やらなくていい理由を探してる……!

人間はめんどくさいことや、ストレスになるようなことを避けたがる。例えそれが自分を成長させたり、いい経験になることであったとしても。

だからやらなくていい理由を探しだしたら、それは危険サインだ。

私は韓国語の勉強において、「めんどくさがらない」「とにかく挑戦する」ということを大事にしている。

そうやって勉強したおかげで、ここまで来れたから。

めんどくさがった時点で、挑戦をやめた時点で、自分の成長もそこで止まる。

やらなくていい理由なんて、探しだしたらいくらでも出てくる。

そしてやらなくていい理由を並べた挙げ句、「やらない方がいいんだ」と自分を納得させてしまう。

そうやって自分を成長させるための苦労やストレスを避け続けた結果、何が残るのだろうか?

きっと後悔だけが残るのだろう。

私には韓国語のスピーチコンテストに出場しなくてはいけない理由なんてない。

でも、とにかく応募するんだ。

やる気がないとかあるとか関係なく、メリットがあるとかないとか関係なく、私は私に「スピーチコンテストに応募する」というミッションを課した。

韓国語の勉強において大事なことは、結果がどうなるかではなく、「やる」という過程そのもの。

人生においてもそうなのかもしれない。いかに結果を出すかではなく、いかに多くのことに挑戦するか。

だからやらなくてもいい理由を探しだしたら、それは危険サインなので気をつけなければいけない。