学ぶということ

韓国のサイバー大学に入学して、先日受講申請をして初学期に取る授業を決めました。

授業は9月から開始なのですが、1週目の講義動画は見れるようになっていて、予習も兼ねて講義動画を見ながら毎日勉強しています。

講義を聞いていると、「しっかり学びたい!」「もっと深く学びたい!」という気持ちがどんどん大きくなってきました。

それならむしろ、授業をたくさん取るよりも、少なめにとってひとつひとつをじっくり学び、時間をかけて卒業するほうがいいのではないかと思いました。

韓国のサイバー大学で学ぶ目的

そもそも私が韓国のサイバー大学に入学した理由は、「もっと深く学びたい」というのが一番の理由で、「学士を取りたい」といのは付属的な目標でもありました。

だから極端なことをいうと、卒業できなかったとしても、しっかり自分の学びたいことを学べれば目的は達成されるということ。

4年で卒業することや、早めに卒業することを目標にするのではなく、とりあえず単位を取るということを目標にするのではなく、心ゆくまで学びたいことを学び、しっかり身につけるということを目標にするべきだなと思いました。

迷ったら困難な道を選べ!

最近、私の中で座右の銘となっている言葉が、「迷ったら困難な道を選べ!」という言葉です。

岡本太郎さんの言葉なんですが、楽な道を選ぶよりも、困難な道を選んだほうが成長や発見があるということから、岡本太郎さんは困難な道を選ぶのだそう。

これは私もすごく納得で、困難な道ほど誰も選びたがらない。だからこそ、その道を進んだ人だけが得られる発見や成長があると私も思います。

実は初学期の授業申請のとき、興味があって受講したいけど、難しそうだからやめとこうかな……と受講をためらった授業がいくつかありました。

でも、「迷ったら困難な道を選べ!」とい言葉を思い出して、やっぱり受けよう!と思い直しました。

せっかく勉強したくて大学に入ったのに、難しそうだからという理由で授業を受けず、自分でも大丈夫そうな授業だけ受けるというのは違うよなと思いました。

あと、誰かが「教養の授業で日本語の授業を取れば、簡単に単位が取れる」ということを言っていて、私も日本語の授業を取ろうと思っていたのですが、学ぶ必要のない授業を単位のために取るというのも違うよなと思い、やめました。

「単位が取りやすそうだから」「簡単そうだから」という理由で授業を選択するのではなく、「興味があるから」「学んでみたいから」という純粋な気持ちを最優先に、今後取っていく授業を決めようと思います。

学ぶということ

韓国語を勉強してると、ときどき「目的」と「目標」を履き違えてしまうことがある。

例えば「TOPIK6級合格」というのは、目標であって目的ではない。

TOPIK6級合格の先に目的があるのであって、TOPIK6級合格はあくまでも通過点。

だからそこに執着しすぎてしまうと、本来の目的を見失ってしまう。

大人になってから何かを学ぶというのは、学生時代の勉強とは全然違うと私は思うんです。

私の場合、目的は「文章で人の心を動かすこと」。

作家になりたいというのは、ひとつの手段であり目標であって、目的ではない。

もちろん、韓国のサイバー大学を卒業するということも、ひとつの通過点であり目的ではない。

学ぶのはいつだって、「目的を達成するため」。

「学ぶ」ということを、「単位を取る」や「いい成績を取る」と履き違えてはいけない。

「韓国のサイバー大学に入学する」というひとつの目標を達成した今、改めて目的をしっかり見据え、目的のためにしっかり学んでいこうと思います!

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