「嫌なことからは逃げてもいい」を拡大解釈すな!

少し前から社会は「嫌なことからは逃げてもいい」とか、「頑張らずにゆるく生きる」とか、「もっと気楽に生きていこうぜ!」みたいなのが流行っている。

確かに精神病むまで嫌なことをやる続ける必要なんてないし、頑張りすぎて体調を崩すくらいなら、もっと肩の力を抜いて気楽に生きればいいと思う。

でも最近は、

「入社して1日で辞めた」
「転職回数100回」
「遅刻欠勤当たり前」

みたいな行き過ぎた発言をする人もよく見かけるようになり、それに共感したり同調したりしている人もたくさんいる。

でも、個人的に「それは違うやろ」って思ってしまう。

いろんな都合の悪い言葉が都合のいい言葉に書き換えられ、何でもありみたいになっている社会に対して、私はこう言いたい。

「嫌なことからは逃げてもいい」を拡大解釈すな!

まともに仕事できない人が増殖中

最近仕事をしていてすごく感じていることが、

まともに仕事ができない人、多すぎる

ということ。

仕事が遅いとか覚えが悪いとか、そういうことじゃなくて、

  • 挨拶ができない
  • すみませんが言えない
  • 平気で遅刻する
  • 何度も当欠する
  • 確認しない
  • ミスを隠蔽する
  • 人の話を聞かない

このように、仕事以前に「それ、人としてどうなの!?」という部分ができていない人が目立つようになった。

ゆとり世代かさとり世代か知らんけども、時代の流れというか風潮というか、そういうものが大きく影響しているのではないかと思う。

もちろん、全員が全員そうではないし、ちゃんとしっかりやってくれる子もいるんだけど、8~9割くらいが「できない」部類に入っている気がする。

正直、「普通」に挨拶ができて、「普通」にすみませんが言えて、「普通」に出勤してくる子のほうが圧倒的に少ない。

それ、自慢することじゃないから

「会社1日で辞めました!」とか、「転職100回しました!」とか、それ、自慢することじゃないよね?

ちゃんとしてる人がちょっとダメな部分を見せるのは「あの人にもそういうところがあるんだ」って好感を抱いたりはするけど、

はなからダメな人間がダメなところを見せたところで、「やっぱりあいつはダメダメだな」って思うだけ。

ダメな人間がダメアピールをして、それにダメな人間が同調してきて、それを見た普通の人が「あ、あんなにダメでもいいんだ」ってダメ人間に染まっていく……

そうやって社会にはダメな人間が増えていったのですか?

逃げてきたからこそわかること

という私も実は、嫌なことから逃げてきた人生でした。

でもね、逃げてきたからこそわかるんですよ。逃げてきて人生の折り返し地点くらいに来たとき、こう思ったんですよ。

「あ、私には何もないな……」

と。

嫌なことと向き合うよりも、逃げるほうが楽です。

でも、一度「逃げればいい」という考えになってしまうと、その後も嫌なことから逃げ続けるようになります。

そして嫌なことから逃げ続けた結果、自分には何も残りません。

私は恥ずかしながら40代になってそれに気づき、そのとき出会った韓国語に人生を捧げるかのごとく必死になりました。

そして必死になった結果、自分の想像していた以上の成果を収めることができました。

「人生は思ったとおりには行かないけど、やったとおりにはなる」

誰かが言ってたけど、本当にそうなんだなと身を持って実感しました。

ゆるくとだらけるは一緒じゃない

「ゆるく生きる」というのは、「もっと肩の力を抜こうよ」という意味であって、「ゆるくダラダラと生きていこう~」っていう意味ではない。

「ゆるく=だらける」と勘違いしている人も多いけど、ゆるくとだらけるは全然違う。

真面目に考えすぎて自分を追い込んでしまったり、
体を壊すまで頑張りすぎたり、
責任感が強すぎてすべて自分で背負い込んでしまったり、

こういう過剰に負荷がかかりすぎて、自分に悪影響を与える状態から抜け出そうというのが「ゆるく生きる」ということだと私は思う。

何の目標もなく努力もせず、
嫌なことはやるべきことでも一切やらず、
人に迷惑をかけても自分本位に、

こんな風に生きるのは、ただの堕落した人生であって「ゆるく生きる」ではない。

価値のあるものはめんどくさいことの向こう側にある

私は必要なことであるなら、めんどくさいこともしんどいことも積極的にやろうと思っている。

その「めんどくさいこと」とか「しんどいこと」の向こう側に、本当に価値あるものがあると知っているから。

何か大きな成果や成功を収めている人は、めんどくさくて人がやらないようなことや、「そんなこと、とてもできないよ」と思うような大変なことをやっていたりする。

私はそんなに大きな成功や成果を収めたわけではないけれど、韓国語においてはなかなかの成果を出せたのではないかなと思っている。

そんな私も、人が絶対にやらないようなめんどくさいことや大変なことをやってきた。

必死に努力したことがない人は、その先にある「本当に価値あるもの」の存在を知らない。

「本当に価値あるもの」の存在を知らないから、それがどれだけ価値のあるものかということも知らない。

でも、この「本当の価値あるもの」の存在を一度知ってしまうと、人生だらけて生きるなんて、もったいなくてとてもできない。

「本当に価値あるもの」の存在を知っている人は、めんどくさいことも大変なことも受け入れて、どんどん価値あるものを手に入れて、どんどん人生が豊かになる。

嫌なことから逃げ続けて何も残らないのと、向き合って数ある価値あるものを手にするのと、どっちの人生が楽しいでしょうか?

私は間違いなく後者を選びます。

嫌なことから逃げるよりも経験値を上げろ!

人生をロールプレイングゲームで例えると、嫌なことから逃げるというのは、敵に遭遇するたびに逃げるを選択するということ。

常に逃げるを選択していると、経験値はひとつも上がりません。

だから敵に遭遇すると、逃げるかやられるか2つに一つです。

でもここで「戦う」を選択すると、負傷するかもしれないけど経験値が上がります。

経験値が上がるといろんな魔法やスキルが使えるようになり、手ごわかった敵も簡単に倒せるようになります。

敵が簡単に倒せるようになると、嫌なことやめんどくさいことも減っていきます。

嫌なことやめんどくさいことが減ると、人生が楽になります。

いろんなことを経験すると、いろんな耐性がつくのでいろんなことに対処できるようになります。

知識やスキルも増えるので、人生もグンと生きやすくなります。

「逃げる」という選択肢は、そのときは一番カンタンで一番ラクな方法ですが、そのときラクをした分、あとあとしんどくなります。何倍も何百倍も。

逆に「戦う」を選択すると、そのときはしんどかったり大変だったりしますが、そのとき頑張った分、あとあと楽になります。何倍も何百倍も。

だから何でもかんでも嫌なことから逃げるのではなく、ときには「戦う」を選択して経験値を積み上げていく。

それがベストな選択なのではないかなと私は思います。