【韓日翻訳勉強記録②】翻訳者はただ翻訳をしているのではないということ

翻訳の勉強として原書と日本語版を見比べながらプロの翻訳を学んでいるのですが、読み進めれば進めるほど、いろんな学びが得られます。

翻訳って外国語を日本語に変換する作業というイメージしかなかったのですが、翻訳ってただ翻訳をするのではないんだなと思いました。

今日も勉強しながら気づいたことや思ったことを、まとめていきたいと思います。

原文と日本語版では時制が変わることもある

原文と日本語版を見比べると、ちょくちょく時制が変えられていることに気づきました。

例えば原文では、「~다는 거였다」と過去形になっている文章が、「~ということ」と訳されていたり、

「~したかった」が「~したい」となっていたり。

文章の流れによって時制を変えた方が自然な場合は、時制を変えてしまうこともあるんですね。

漢字は意外と使われない

これに関しては書籍のジャンルによっても変わってくるとは思うのですが、私が今、翻訳の勉強をしている書籍がエッセイなので、漢字はあまり使われていませんでした。

確かに難しい漢字を使うと文章が硬い印象になってしまうし、読みにくくもなる。

逆にひらがなを使うことで読みやすくなるし、文章が柔らかくなる。

自分でも翻訳しながら思っていたのですが、翻訳するときに漢字を使うかひらがなを使うか、それともカタカナを使うかというのは結構迷ってしまいます。

どれを使うかによって文章の印象ってずいぶん変わってきますよね。

造語も知っておくと翻訳の幅が広がる

翻訳ってなるべく正しい日本語で書かなければいけないと思っていたのですが、場合によってはあえて造語を使うこともある。

韓国にも日本のように造語がたくさんあるから、これを知っていると翻訳の幅も広がるなと思いました。

例えば今読んでいる本の中では、

미생의 시절을 보냈다.

という原文が、

ホモインターンス(ホモサピエンス+インターン=正社員になれず インターンを繰り返す人)」として日々を送っていた。

と訳されていました。

韓国ドラマにも「미생(未生)」というドラマがありましたが、この単語ってなかなか日本語には訳しにくいですよね。

もちろん、上記の翻訳はその前にインターンとして働いていたという話があってこそ上手く繋がる翻訳ではありますが、

このようにあえて造語で訳すということもあるんだなと勉強になりました。

翻訳者はただ翻訳をしているのではない

原文と日本語訳を見比べながら、翻訳というよりも創作だなと感じていたのですが、読めば読むほどそれを強く実感しました。

翻訳者ってただ原文を訳しているわけではなくて、その作品を著者と一緒に作り上げている筆者でもあるんだなと。

翻訳家って表には出ず裏で作業をしている黒子のような役割に思われがちだけど、実はその作品を作り上げているもう一人の主人公のような気がします。

だから私も翻訳をするときはただ原文を上手く訳そうとするのではなく、自分の作品を作り上げる気持ちで、作品自体に愛情を抱きながら丁寧に翻訳していきたいなって思いました。