勉強すればするほど、どんどん韓国語が上手になっていけばどれだけいいだろうって思うときがある。
でも実際は、出来ないの連続だったりする。
韓国語の勉強は、「出来た!」「わかる!」という瞬間よりも、「出来ない」「わからない」という瞬間のほうが圧倒的に多い。
頑張っても出来ないというのは、もどかしいし悔しい。
あまりの出来なさに腹が立ってしまうときもあるけれど、そんなときに感じる「悔しさ」が自分を成長させる一番の原動力にもなったりする。
出来なくて悔しいからもっとやる。出来るようになるまでやる。
人によって違うのかもしれないけど、私は負けず嫌いなので悔しい思いをすると逆にパワーが出る。
頑張っても出来ないというのは精神的にも辛いけれど、これは成長痛みたいなものだと思っている。
背が伸びるときなど、骨が成長するときには痛みをともなうと言うけれど、これと同じで知識が伸びるときにも苦痛がともなうのだと思う。
そう考えると、勉強をしていて辛いと感じることはすべて、成長につながることなのかもしれない。
仮に何のストレスもなくスムーズに韓国語力が伸びていったなら、それはそれで嬉しいかもしれないけれど、きっと勉強の楽しさはそこまで感じられないだろう。
韓国語の勉強が楽しいと思えるのは少しずつ成長していくからだし、勉強を通じて成長できるのは、いろんな壁を乗り超えてきたからだ。
今でもまだまだ「わからない」「出来ない」ということはたくさんあるし、そのたびに悔しい思いはするけれど、その悔しさはすべて自分を成長させるパワーになるから、悔しい思いをしながら今日も勉強していこうと思う。